大正13年ごろ
与那原出身の津嘉山朝保は、当時、街へと発展しつつあった名護の地で、
良質の水を育む名護の地で、
うまい泡盛を造ろうと移住してきました。

昭和2年名護大兼久に土地を求め、酒造所兼住宅を建築し、昭和3年に完成しました。
棟梁は金城徳三郎(大宜味村饒波出身)
設計は島袋純一。
昭和3年、国頭郡で初めて泡盛製造の免許を取得。
銘柄を国頭郡の華となるよう、「国華」と名付けました。
昭和11年から13年の年平均製造量は、約490石(88200リットル)。

酒類配給券 住所表記が「本所区吾妻橋町1丁目10番地」とある
酒類配給券 住所表記が「本所区吾妻橋町1丁目10番地」とある

昭和17年から19年頃には東京吾妻橋付近に販売所もあったといいます。

昭和20年4月、名護湾から米軍が上陸し、市街地のほとんどの建物が破壊されましたが幸いにも津嘉山酒造は残りました。
占領中は、酒造所の建物は、米軍の事務所やパン工場に使われていました。
名護商工祭に参加する。トラックはシボレー。
名護商工祭に参加する。トラックはシボレー。

創業者の津嘉山朝保とその長男・朝勇は戦争のために亡くなりました。
朝保の妻・津嘉山ツルは、親族や知人とともに酒造所を再開、その際、東京で「国華」を販売していて、戦争のために大分に疎開していた瑞慶覧智慎・サダ夫妻を呼び寄せ、経営に参加させました。

昭和33年、酒造所は法人化し、「合資会社 津嘉山酒造所」となりました。

昭和30年代の従業員
昭和30年代の従業員

 

戦後再開時から酒造所で働いた具志堅盛輝さんは、「毎日酒を作っていた。一日も休みはなかったよ」と振り返ります。

蒸留した後のもろみ粕は豚の良質な餌になり、酒造所ではたくさんの豚を飼っていて、豚の飼育専門の従業員もいました。

従業員の食事を作る女性、麹を管理する女性、ビンでの販売が始まってからは、洗ビン 専門の人もいました。

 

國華

 

しかし昭和50年代に入ると大手酒造所に押され、販売不振におちいり、昭和57年にやむなく休業してしまいました。

平成2年、醸造の再開にむけて準備を始め、その際、現在の工場長幸喜さんが入社しました。

その際はじめて回転ドラムを導入しました。

 

そして平成3年。

実に9年ぶりに醸造を再開しました。


現在の工場で貯蔵できるのは、大手酒造メーカーの2日分の出荷量に及びません。

それでも一本一本、丁寧に作り上げられる泡盛は、その口当たりの良さが評判を呼び、次第にファンを増やしています。

 

あくまでも手作りにこだわる銘酒泡盛「国華」は味わい深いのです。

名護市教育委員会作成

 

明治12年  琉球処分により沖縄県設置。人口31万人
明治13年  津嘉山朝保、与那原に生まれる。
明治22年  瓦葺き制限を解除。
明治35年  島袋蒲、名護で泡盛・醤油などを販売する(琉球新報9月15日)。
明治41年  津嘉山朝保、小橋川ツルと結婚。間切町村制施行。
明治44年  津嘉山朝保の長男・朝勇生まれる。瑞慶村智慎、与那原に生まれる。
大正04年  県道・那覇~名護間全線開通。名護村の人口11,461人。
大正06年  山入端隣次郎、沖縄自動車株式会社設立。
大正13年  津嘉山朝保、名護に移る。名護町制施行(二月一日)。
昭和02年  津嘉山朝保、酒造所兼住宅の建築を始める。
昭和03年  酒造所兼住宅完成。酒造免許取得。沖縄県酒造組合連合会設立。第三中学校創立。
昭和04年  喜屋武酒造所創業。
昭和05年  玉那覇酒造所創業(宮里)。
昭和09年  具志堅加那、津嘉山酒造所で働く。
昭和10年  岸本久光、セメント瓦工場興す。
昭和11年  津嘉山朝勇、宮里カツと結婚。
昭和13年  津嘉山朝勇の長女・京子生まれる。
昭和14年  大城酒造所創業(仲尾次)。
昭和15年  瑞慶村智慎、津嘉山朝保の次女・サダと結婚。
昭和16年  津嘉山朝保、北部酒小売商統制組合会長になる。
昭和17年頃 瑞慶村智慎・サダ・ツル(智慎の母)、東京の吾妻橋付近で国華の小売店営む。
昭和20年  4月7日、名護湾の3地点から米軍上陸。朝保、避難先で亡くなる。
       酒造所は幸いにも焼け残り、米軍の事務所や避難民の仮住居となる。
昭和21年  津嘉山朝勇、戦地で戦病死。
昭和24年  戦後の製造開始か?瑞慶村智慎、津嘉山ツルの勧めで酒造所の経営に加わる。
       具志堅加那の次男・盛輝、津嘉山酒造所に入る。
昭和26年  琉球政府発足。
昭和28年  名護商工祭行列に参加。トラックはシボレー。
昭和29年  瑞慶村實生まれる。
昭和30年  タイ砕米輸入開始。
昭和32年  社宅2棟建築(セメント瓦葺き)。
昭和33年  6月17日、合資会社「津嘉山酒造所」設立。
昭和34年  オリオンビール名護工場落成。
昭和37年  キャップシール制度実施。
昭和38年  この頃、瑞慶村智慎に代表代わる。名護さくら祭り始まる。
昭和41年  津嘉山ツル亡くなる。
昭和45年  名護市誕生(8月1日)
昭和47年  本土復帰(5月15日)
昭和51年  沖縄県酒造協同組合結成。
昭和53年  泡盛酵母一号開発成功。
昭和54年  730交通変更。
昭和57年  休業する。
平成02年  営業再開準備始める。ドラム室増築し回転ドラム導入。
平成11年  国税局所長賞受賞。
平成12年  国税局所長賞受賞。G8首脳サミット開催。
平成13年  近代和風建築総合調査入る。
平成16年  瑞慶村智慎亡くなる。
平成17年  1月29日「津嘉山酒屋保存の会」発足。
平成18年  3月2日、登録有形文化財になる。

 


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